Q:あさぎさん、本書く過程はめちゃ自分に向き合ってきつかった、て言ってたでしょ?
それは前回の講座でも話してくれた2冊目のご著書のご両親との向き合いが、てことだった?
それとも一作目、どういうプロフィールでどういう企画か、までの自分の棚卸しが、てこと?
アサギストの外の世界では、質問する前に考えろ、自分でよく調べろ。なのはもちろん日本で育ってきたからわかってる。
でも自分のことは自分ではわからないから、自分の強みは他人に見つけてもらうべくアウトプット、だと思ってたのね、魅力覚醒講座では。
だけど、本を書く、て過程ではやっぱり自分で自分を掘り起こすことは必須過程なのかな?
プロフィールを固めたり、今後本の企画を起こすのに、まさに魅力覚醒講座のワーク8みたいなことをやってみて、がみんなには今回宿題として課されたんだけど、あなたはこれまで自分の好き、を追求してやってきてて偏ってるから、嫌いな作家を研究しろ、て言われたの。モヤモヤざわざわ案件を深掘り、てことだなと思う。
このままどんどんアウトプットして、みんなに助けてもらうっていう甘えていいものか、著者たるもの自分でもがき苦しむ中から見つけろ、なのか、著者としてあさぎさんどう思う?
A:キツかったのは単純に執筆作業、つまり言語化だね。まぁ一流の著者ですら編集者やライターがいるわけで、1人で全部書ける人はいないとは思うから、人に頼れるなら頼ってもいいと私は思う。実際、私は一冊めは全部自分でやって死ぬほどしんどくて、2冊めはなんとアサギストがほとんど書いてくれてるんだよね。このやり方、実はホリエモンスタイルなんだけど、私も最初聞いたときは素人に自分の本の執筆を任せるって正気か!?と思ったし、実際に私の担当者さん(信じられないくらいに私の意思を尊重しまくってくれる珍しいタイプの編集者)ですら最初は微妙な顔をしてた。でも実際に蓋を開けてみたら、むしろ2冊めのほうが私らしさが出てるって私の周りには好評だったりしたよ。ただ、まぁ到底、普通の出版業界に受け入れられる話ではないだろうとは思うね。
