Q:「嫌われる勇気」に、幸せを感じるためには、人に貢献しているという自覚が大事だと書いてある。寝たきりの母親でも、息子にとっては「役に立っている」。でも息子以外の人にとっては役に立ってるわけじゃない。母親自身が息子の「役に立っている」と思っていなければ母親は幸せではない。そうことかな?
私は、今仕事をしていないし独身で家族もいない。たった一人の母親は長期入院しているので、せいぜい病院の手続きをしているぐらい。社会貢献は、買い物をした時に払っている消費税ぐらいかなと思っている。つまり私は、社会貢献をほとんどしていない。人の役に立っていない。
あさぎさんが社会貢献していると自覚したのは、恋愛などのセミナーを開くようになった時から?それまではそういう自覚はあった、それともなかった?
幸せを感じるためには、「嫌われる勇気」によれば、人の役に立っている自覚が必要だと思うけど、何の役にも立ててなくて自分には生きる価値がないような気がするのは、ちょっと辛い。質問スレを読んで自分でも役に立つことを見つければいいんだけど…でもそれって無理して見つかるものなの?あさぎさんは何となく(自然と)見つけられたように感じられるよ。正直言ってうらやましい…あさぎさんだけでなく、成功した人たちは皆、めぐりあわせでうまく自分が役に立てる仕事をするようになったと言ってるように思えるから。
人の役に立てないと、幸せを感じるのはむずかしそうだよね…
A:息子以外の人の役には立ってないってことないでしょ。昔や今の友人とか、病院の人とか、関係がある・あった人全員になんかしらの役には立ってるよね。
昔の私は、何かをすることでしか人の役に立てないと思っていたけど、これを読んでそうだなぁ、生きてるだけで少なくとも心の平穏には役立ってるんだなと思えるようになったよ。そのときに何をしているかは関係なく。あと自分でも役に立つことを見つけるのは、無理して見つけるって感じではないな。人のコメントを読んで共感して「いいね」をつけたりコメントするだけでも十分役に立つと思うけど、それも今はしんどければまずは自分のアウトプットに集中することだね。質問スレで質問することでも、私や、講座メンバーの役にはめちゃくちゃ立ってるしね。まずはこの質問をしたことで、自分が役に立ったと自覚するところからかな。
