Q:私、人をジャッジする人が好きじゃなーい!なんて思ってたんだけど、実は自分がめちゃくちゃジャッジしてることに気づいちゃったの…この人は尊敬できる、できないとか、この人は頭がいい、悪いとか。ちょっとモヤる女子がいると、確かにその子は凄いけど、たぶん私の方が賢い、たぶんモテるのは私の方とかって比較もしてる!
それを表には出さないようにして40年間生きてきた。
ハッキリ言って、そんなジャッジして何になるの?って言ったら、何にもならない…やっぱり、こんな自分をダメだと思ってて、外に出さないように抑えてたから、他人がジャッジするのが目について嫌悪感を抱く、という構造なのかな??
A:この文面を読むとジャッジというより比較かな?と思う。俗に言われているジャッジって「こんな人はダメ!」ってやつで、なぜそれが良くないと言われているかというと、それがあると自分にも禁止してしまって自由に生きられないから、って感じだと思う。だからジャッジはNGというより、まぁないほうが生きやすいよね、って感じのもの。で、今書いてるのは単なる「比較」じゃないかな?と思う。比較は、アドラーも全ての悩みは人間関係と言っていた通り、人が2人以上いたら必ず発生するものだと思うよ。比較がないと自分を知ることも進歩することもできないからね。堂々と人と比較して、自分の優れたところもできてないところも認めていこう。
