Q:あさぎさんは、あの時こーすればよかったと後悔することはないの?前に、そういうのは自分に期待し過ぎ案件と言っていたような。その時最適な決断を日々していく感じ?
私は、母をもっと早く整形外科に連れて行ってあげたら良かったなと今更思ってて。今腰が悪くて入院してるからさ。自分のキャパ小さい、器小さいことを
認められないから、ジタバタするのかな?
何故、母のことに頑張り過ぎるのか考えてみたら、私は母のことを勝手に可哀想だと思ってる。バツ2。子供に先立たれている。よく考えてみたら離婚は相手が100%悪いこともないし、同情する類いのものではない。相手の悪口を聞かされていたから。子供に先立たれたというの
は運もあるから、なんともいえないよね。
考えたら母は、可哀想じゃない。課題の分離が出来てないってこと?今までに同じ事聞いてたらごめんなさい
A:過去の自分は連れて行けたはず!って思ってるから、連れて行けばよかったと思ってるんだろうけど、連れて行けなかったんだよね。だって今みたいになること知らなかったしね。仮に「入院しちゃうかもよ」って誰かに言われても信じてなかったと思うよ。お母さんも断ったかもしれないし。
「出来なかったことを今更言ってもしょうがない」じゃなく、このことに限らず「できたはず」「〇〇すればよかった」って考えはすべて幻想であるってことを受け入れることかな。1000%できなかったから。お母さんも本気で行きたかったら真剣にお願いするなり、タクシー呼ぶなりで行けたと思うので、本人の決断かと思う。あと入院イコール不幸ではないと思う。戦争イコール不幸だけではないように、物事はすべて表裏一体。入院が不幸なのではなく、入院が不幸と決めてるのは自分って感じ。
