TOP第10回入賞作品第10回 優秀作品賞「叫び」
最終更新日 : 2024/12/02

第10回 優秀作品賞「叫び」

「叫び」
山本ジュンさん(東京都 清瀬市)

 「これは非常に言いにくいのですが……」妊娠がわかった日。同時に子宮頸がんが見つかった。しかも高度異形成クラスV。『がんと想定される陽性』だった。「産前に子宮頸部の一部を切り取る手術を一回。産後には子宮を全摘します。でなければ」死ぬ。医師の言葉にそう感じた。とは言え去年のがん検診からまだ一年も経っていない。いつの間にがんは。果たして子どもは無事に生まれてくるのか。心配は尽きない。

「もうお医者様に任せよう」

病院からの帰り道。夫は言った。しかし、私はこのことを父に言おうか大いに悩んだ。妊娠だけなら「おめでとう」で済む話。でも病気も、となれば話は別。実を言うと母も7歳のときに同じ病気で亡くなっている。それもあって、毎年欠かさず検診を受けて来た。もし母と同じ『子宮頸がん』だと知ったら、父はショックで寝込んでしまうかもしれない。「オレより先に死ぬのか」と騒ぎ立てるかもしれない。ふと過る『死』の一文字。

「お前、がんなのか……」

案の定病気のことを知った父は言葉を失った。夫も「早期発見なので心配には及びません」とフォローした。それでも父は顔をこわばらせたまま、ショックを隠せぬまま、トイレに行くふりをして泣いていた。もう何も言えなかった。迎えた手術の日。その日は朝から周辺が騒がしかった。なんせ術前の処置をするナースたちがひっきりなしに訪れる。その慌ただしさが深刻さの証。

(私、本当に大丈夫かなあ)

ふと浮かぶ病床の母の姿。あのとき母はまだ20代だった。やりたいこと。食べたいもの。見たい景色。きっと、いっぱい、あった。私だってそうだ。このまま死にたくはない。わが子を無事に生みたいし、その成長を見届けたい。
その時だ。

「体調はどうだ?」

疲れ切った表情の父が現れた。おそらく心配で眠れなかったのだろう。目元には大きなクマができていた。

「大丈夫だよ……」

そう言いつつもどこか不安を隠しきれない。

 すると父は「お前に聞かせたいモノがある」と小さなラジカセとカセットテープを取り出した。それは生前母が遺した肉声テープだった。

『みんなへ』

やわらかく、まあるい声。母だ。

『お久しぶりです。みんな元気にしてますか?このテープを聴く頃にはきっと私は天国にいるでしょう。お父さん、ちゃんと家事はできているかしら。洗濯物は色物と白物を分けているでしょうか。燃えるゴミは月曜日ですよ。何だかすごく心配です』

父はチッと舌打ちをし、バツが悪そうな顔をした。

『でもね。母さん、幸せだったの。それだけは伝えたくて。かわいそうなんかじゃないの。むしろがんだとわかったことに感謝してる。だって、こうしてあなた達に感謝を告げられるでしょう?お父さん、私をお嫁さんにしてくれてありがとう。子どもたち、私をお母さんにしてくれてありがとう。神様、がんを見つけてくれてありがとう。これからは天国からあなた達を見守っています』その声は、最後、涙で終わった。

 メッセージを聞き終えると何とも言えない空気になった。確かにがんに冒された母の人生は短かった。でも母は人生そのものに感謝をしていた。何より「幸せだった」という言葉は遺された私たちの救いになった。

「お母さん、幸せだったんだね。あー、よかった!なんか元気出たー」

私が笑うと父もホッとしたように笑い、でもこみ上げる感情を我慢できなくて。花の水を変えるふりをして、こっそり、泣いた。

夕方。手術は無事に終わった。

 あれから二年。あの手術を機に私は子宮頸がんの啓発活動に参加している。今や二人に一人ががんの時代。子宮頸がんは「マザーキラー」ともよばれ、20〜40歳代に多いとされる。しかしがん検診の受診率は未だに低い。本当に低いのだ。

 この活動には毎月多くのがん経験者が集う。22歳で告知を受けた女性。妊娠と同時にがんが発覚した女性。がんと診断された後も子宮を残す選択をした女性。その一人ひとりの叫びが、がんキラー。私たちの「これまで」の経験が誰かの「これから」になれたらいいし、幸せな人生だったと思えたら、もっといい。今日も青空の下。街頭には威勢の良い声が響き渡る。

 「もうマザーキラーで悲しむ人をなくすために、検診こそが悲劇を絶ち切るキラーです。あなたとあなたの大切な人のために、さあ。行きましょう」