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最終更新日 : 2024/12/02

第10回 優秀作品賞「二つのおめでとう」

「二つのおめでとう」
M・Nさん(愛知県 尾張旭市)

 二十代の頃、ウェディングプランナーとして働いていた。

「実はこの前、胃がんが見つかって」

 打ち合わせの席で、そう打ち明けてきたのは、三ヶ月後に式を挙げる新郎だった。え、と思わず固まった。

 新郎は、相手が固まる反応に、もう慣れてしまっていたのだろうか。

 まだ初期のがんであること。来月入院し、胃の切除手術をすること。よほど結婚式は延期せずに済みそうなこと。顔色を変えることもなく、すらすらと説明してくれた。きっと自分自身、まだ受け入れられていない部分もあっただろうに。
 突然の告白に、私は、ただ目を見て話を聞くことしかできなかった。

 新郎は、まだ随分若かった。どうして初期で気付くことができたのか尋ねると、職場の福利厚生で、毎年人間ドックを格安で受けていたのだと言う。なるほどと頷くと、隣でずっと苦い表情をしていた新婦が、ここぞとばかりに私に語り掛けた。

「人間ドック、絶対受けたほうがいいですよ」

 その瞳は真剣だった。最愛の人が窮地に立たされている新婦に言われると、これ以上ない説得力があった。聞けば新婦も、人間ドックを予約したそうだ。両親や、兄弟にもすぐさまお願いしたとのこと。

 考えてみると、私が会社で受ける健康診断は、受診に一時間もかからないような最低限の項目しか含まれていなかった。身体測定、尿検査、聴力・視力検査、心電図、それに簡単な血液検査くらいだっただろうか。

 これも何かの縁と思い、私も人間ドックを予約した。

 まだ二十代前半の自分には、人間ドックにお世話になるのは先の話だと思っていたが、誠意を持ってお二人の式に向き合うための、ひとつの覚悟だった。

 結婚式の二ヶ月前に、新郎の胃の切除手術があった。すっかり懇意になった新婦は、逐一、新郎の経過をメールで報告してくれた。

 無事に手術が終わったこと。病院食を口にできたこと。かなり痩せてしまったが、新郎は元気なこと。結婚式の相談も交えながら送ってくれるメールに、どれだけほっとさせられたことか。

 その後新郎は療養を経て、結婚式の前には職場復帰も果たしたという。

 私の検診の結果も、幸い異常は見つからなかったが、どんな病気も他人ごとではなく思えた。健康であるという当たり前のことが、文字通り「有り難い」ことだと知ったのだ。

 いよいよ迎えた結婚式の当日。これまでの新郎新婦や家族の胸中を思うと、より一層特別な日に感じられた。

 冒頭の新郎からのスピーチで、初期の胃がんを患っていたことが、まず語られた。これは、新郎からの強い希望だった。

 新婦側の列席者は、その事実を初めて耳にする方も多かったのだろう。披露宴会場の半分の空気が、ぴりっと凍り付いた。しかし手術を無事乗り越えたことが告げられると、会場中に安堵のため息が漏れていく。ハンカチで目を抑えるゲストも多かった。 検診のお陰で早期に発見できたことに続けて、新郎は、さらにこう付け加えた。

「今日を迎えることができたのは、ここまで支えてくれた、彼女のお陰です」

 新婦は堰を切ったように大粒の涙を流し、会場中が温かな拍手で包まれた。

 主役のもとに次々とお祝いにくるゲストは、誰もビールを注ごうとはしなかった。代わりにウーロン茶で乾杯をし、二つの意味で「おめでとう」を口にした。

 会場の隅で、若い友人が「人間ドック、受けなきゃだね」と話す声が聞こえた。この会場に集った列席者は、新郎新婦にとって大切な方々ばかりだろう。新郎の勇気あるスピーチで、皆の心が動かされたのだと思うと、私まで心から嬉しかった。

 もうかれこれ十年以上前の話になるが、今でも私は、定期的に人間ドックを受けている。カレンダーをめくり、思い出したように受診の予約をするのは、決まってこの結婚式が行われた月だ。自分自身も結婚したため、もちろん夫にもお願いしている。

 胃カメラを受けるのは今でも苦手だが、あの打ち合わせでの新婦の真剣なまなざしを思い出すと、乗り切る勇気が湧いてくる。

 健康は当たり前ではなく、「有り難い」ことだと教えてもらった。記憶の中のタキシードとウェディングドレス姿の二人に、心から感謝を送りたい。