TOP第10回入賞作品第10回 JA全厚連特別賞「そして命はつながった」
最終更新日 : 2024/12/02

第10回 JA全厚連特別賞「そして命はつながった」

「そして命はつながった」
角谷 まひろさん(北海道 札幌市)

 「人間ドック」
 聞いたことはあるけれど、私にはまったく馴染みない言葉だった。

 父の仕事の関係で、16歳までアフリカのベナンで育った。病院も薬もない途上国の山間部で、草や虫を煎じたものが薬の代わり。ワクチンもなければ、健康診断もない。

 日本に帰国したとき、病院や歯科医院の多さに驚いた。診察するとすぐに医薬品が出る。
 「これがG7の先進国なのか」
 先進国と途上国のギャップを肌で感じた。医療だけではなく、水や電気のインフラ整備、冷暖房、水洗トイレ、舗装道路、交通機関、農畜産物や魚介類のなどの食糧、衣類、パソコン、スマートフォンなど、生活レベルの高さに、驚くしかなかった。

 その後26歳まで日本で生活し、薬剤師の資格を取った。勉強がついていけず、高校で1年留年し、大学の薬学部へは1年浪人して、なんとか入学することができた。同級生は2歳年下だったが、みんな日本語がうまく学力水準ははるかに上だった。

 大学で薬の勉強をするうちに、私はアフリカに戻って、薬のない人たちを助けたいという思いが強くなっていった。就職担当の先生に相談すると、あからさまに渋い顔をして
 「最近はドラッグストアが海外展開しているから、しっかり就職活動するように」
たしなめられてしまった。

 しかし、アフリカに出店しているドラックストアはない。

 海外青年協力隊、国境なき医師団も、医者や看護師の補助として、日本から持参した薬を患者に渡すだけで、現地密着の薬剤師業務とは少し違う。

 私は就職せず、アフリカに戻ることを決意した。先生も親も反対したが、ベナンで「村の薬屋
さん」のような仕事がしたかった。
 薬は、市販薬を首都ポルト・ノボで購入し、それを小分けして村人に処方した。運転資金は学生時代にアルバイトで貯めた100万円と村人からの寄付でまかなっていたが、ほどなくして底つく。
 土日にポルト・ノボでアルバイトして薬屋を続けた。それでも資金不足は解消されず、一週間に5日アルバイトして、土日を薬屋に充てるようになった。3年間休みなしで働いていたが、仕事が楽しく、このペースが心地良かった。

 私の薬がきっかけで、医療職を目指す若者もでてきた。草の根の輪が広がってきた手応えを感じ始めたころ、日本から父の訃報が届いた。卒業してから一度も会っていない。
 父は10万人に3人の悪性腫瘍で、判明時にはすでに末期で、手の施しようがなかったらしい。
 親不孝な自分を恨んだ。
 ふと「人間ドック」という言葉が頭に浮かんだ。
 急いで帰国し、父に別れを告げた。やせ細った父に謝り、そしてお礼を言った。私は幸いにもこれまで大きな病気はなかったが、人間ドックを受けることにした。
 受診する病院や検査内容を調べていると、女性特有の病気に特化したオプションがあることを知った。せっかく、初の人間ドックなので、女性向けのオプションも付けることにした。
 検査結果は4日後に判明。1ページ目には「問題なし」の文字が続いていたが、ページをめくるとある項目に目が留まった。そこには、「子宮内膜症の疑い」と書かれていた。少し驚き、婦人科で再検査した。診断結果は同じで、「子宮内膜症の可能性が極めて高い」とのことで、大学病院で再々検査。思った以上に重篤で、子宮内膜症卵巣にはチョコレート嚢胞(のうほう)があり、加えて子宮筋腫や子宮腺筋症も併発していた。治療には手術以外の方法がなく、しかも嚢胞が大きくなっ
ているので、いっときでも早い手術が必要とのこと。私は動揺を隠せず、母に電話しようとスマホ見ると、父がほほ笑んでいた。
 「父が私を人間ドックへ導いてくれたのだ」
 これまで休みなく働き、健康診断すら受けたことがない。あらためて振り返ると、少しずつ毎月の生理痛がつらくなっていて、吐き気がすることも珍しくなかった。まったく自分を顧みない私を、父が自分の命を賭して、日本へ呼び戻してくれたのである。
 落ち込むなかれ。私は最短での手術予定を入れた。
 手術は開腹ではなく、腹腔鏡での処置ということだったが、腹腔鏡が入らない箇所があり、急遽開腹することになった。といっても、全身麻酔なので意識がない。
 当初想定の4時間を大幅に上回り、6時間以上かかったが、手術は無事成功した。術後の経過も良好で、2ヶ月後には生理も戻った。
 主治医からは1年は日本に残ることを勧められ、どうするか考えていたとき、ベナンから私の彼氏が来日した。彼は医学を目指し、日本への留学を希望している。
 私はリハビリをしながら、留学の手伝いをすることにした。そして1年が経過したころに、身ごもった。
 人間ドックで病気を発見し、治療したことで、赤ちゃんを授かることができた。つながっていく命、こんなに幸せなことはない。

 ありがとう、人間ドック。
 ありがとう、お父さん。
 ありがとう、赤ちゃん。元気に産まれてきてね。

 全世界の人たちが、人間ドックの受診ができることを、心から願っている。