「ブッチャーがくれたメール」
本田 美徳さん(大阪府 寝屋川市)
旅立った友が最後にくれたスマートフォンへのメールがある。「しんどいです・・・」と。
昨年三月末に、私は三十八年間勤務した警察官を定年退職した。最後の三年間を京都の警察署で過ごし、職種は警務係という「何でも屋」だった。市民応接、留置場管理、署員への柔道の指導等、様々な業務の中でも一番のメインは全署員の厚生業務だ。定期健康診断の受入れ、高額医療費や限度額適用申請書等、署員とその家族の健康管理に資する事務手続きは難解で複雑だったが、縁の下の力持ち的なこの業務は遣り甲斐のある役割だった。
ある日、私のもとに一人の職員が本田係長に相談があります、と申し出てきた。
「僕は通院していて抗がん剤治療をしていますが来月から入院です。今日は病院で『職場で限度額適用申請をして下さい』と言われました。限度額適用申請とは何でしょうか?」
三十歳代でスキンヘッドのメガネをかけた彼は実直で言葉使いも丁寧だ。後で直属の上司に聞いたが、彼は警察官としても非常に優秀だという。不安そうに質問してきた彼に私は安心させるようにいった。
「心配するな。手続きは全部俺に任せとき。あんたは治療に専念したらいいんやで」
いけなかったが、つい彼の頭部に目がいった。抗がん剤の影響で頭髪は潰えている。だが私の視線を感じた彼は冗談のようにいった。
「僕、ブッチャーみたいでしょ?」
「え?そんなこと俺から、よう言えんわ」
彼がいうブッチャーとはスキンヘッドのプロレスラーで一世を風靡したアブドーラ・ザ・ブッチャーのことだ。きっと私が気にすると思って彼は自らおどけてくれたのだ。私は敢えて彼のその優しさに答えようと思った。
「おう。ほんなら、これからブッチャーって呼ばせてもらうで。いいんかな?」
「いいですよ。入院したら電話できない時があるんで僕のメルアドを教えておきますね」
こうしてブッチャーは再入院し、私と彼は抗がん剤治療の事務に関するやり取りを、メールを中心で行うことにした。
そんな時、私自身が定期健康診断の右耳の聴力検査で「異常あり」と診断された。そういえば時々、耳鳴りに悩まされる症状が以前からあった。しかし私の中では、たかが耳のことで、という侮りがあり、再検査にも行かずにいた。そのことをブッチャーに何気なくメールした。
(俺も引っ掛かったわ。まぁブッチャーに比べたら申し訳ない軽症やけど)
だが、気軽な返事を期待したブッチャーからの返信は私には意外な内容だった。
(だめですよ!お医者さんや看護師さんに聞いてみたら、外耳炎や中耳炎から脳炎という病気になることがあるそうですよ。ちゃんと検査に行って『係長も気をつけて下さい』)
ブッチャーがくれたメールには何故か最後の『係長も気をつけて下さい』という言葉が二回も送信されている。私は考え込んだ。『係長も』との言葉を言い換えれば、「僕は治療に頑張っています。だから係長も検査をして原因を明らかにしてください」との意味だと受け取った。それにブッチャーは私のことを心配してくれて、医師や看護師に症状を聞いてくれている。これが私の胸に響いた。
すぐに総合病院に検査の予約をして受診すると、結果は中期の中耳炎で医師からは、
「放っておくと難聴はおろか、耳から菌が進入すれば脳炎を引き起こしていましたよ」
と、ブッチャーのメールのとおりのことを告げられ、服用と点耳薬を処方された。
(ブッチャー。検査に行ってきたよ。行かなかったら将来は脳炎だったかもって)
ブッチャーからはすぐに返信があった。
(ね?安心したでしょう?これからも定期的に検査に行ってくださいね)と。
私が、(おお。ブッチャーの体調は?)と返した時、
(しんどいですね・・・)と返信されてきたのだ。
それがブッチャーからの最後のメールとなった。気を揉んだ私は何度か送信したが彼からの返信は来なかった。そして年末の寒い日にブッチャーは天に召された。
警察官達の同僚愛は深い。ブッチャーの人柄もあって葬儀場は同僚達で溢れかえった。
そんな中、私がブッチャーのお母さんから「ああ。あなたでしたか。励ましのメールを頂いて。いつもベッドの上で喜んでいましたよ」と、声をかけてもらった時、涙が止まらなくなった。苦しい中、ブッチャーは必死にメールを送信してくれていたのだ。
お焼香の時、心の中で語りかけた。
(ブッチャー。よく頑張ったな。天国でゆっくりしたらいいで。でも、もうメールはできないな。俺はそのことだけが淋しくて)
これからは検査にもドックにも行くことにする。それから周りに俺みたいに異常値が出た人がいたら、必ず行けって勧めるから。それがブッチャーと俺との約束やもんな)
約束を告げた時、遺影の中のブッチャーが少し微笑んでくれたようにみえた。