TOP第10回入賞作品第10回 佳作「嫌味を言われたあとに」
最終更新日 : 2024/12/02

第10回 佳作「嫌味を言われたあとに」

「嫌味を言われたあとに」
鈴木 大輔さん(鹿児島県 鹿児島市)

 「落ち着いて聞いてね。私、がんが見つかったの」
 昨年秋、健康診断で母の身体にがんが見つかった。胃がんだった。翌週には近くにある大きな病院で検査をするらしい。母は奄美大島で父と二人暮らし。父も高齢であり、一人で検査を受けるのが不安だという。病院受診時には長男である僕の付き添いを希望した。
「分かった。なんとか調整する」
こんな時のため、僕は一八年前に東京から実家の近い鹿児島市へUターンしていたのだ。仕事は調整でき、何とか母の検査には同行できることになった。
 十一月下旬の奄美大島は、本土と比べてとても暖かい。奄美空港へ降りた時、僕は身に付けていたジャケットを脱いだ。空港には父が迎えに来てくれた。
 一時間ほどで実家に到着する。母は僕の顔を見た瞬間に、表情が崩れる。
「ありがとうね。帰ってきてくれて」
母は不安だったのだろう。笑顔の中に涙がこぼれていた。

僕たちは久しぶりに三人で食卓を囲む。だが、母の箸は進まない。
「不安で夜が眠れないのよ」
「あなた達も私がいなくなると、いろいろとしてくれる人がいなくなって大変よ」
僕と父は母の気持ちを受け止めた。
「早めに見つかって良かったね」
僕の言葉に母もうなずく。
「そうなのよ。主治医の先生もそう言っていたわ。やっぱり健診は大事よ。あなたも必ず毎年受けなさい」
なぜか、最後は僕が母から注意を受けるはめになっていた。だが、ようやく前向きな言葉を聞くことができ、僕は安心した。
 次の日、病院で検査を受ける患者も多く、午前中では終わらず、午後になってからの診察となる。
「安心してください。がんは薄いようです。内視鏡で取れるかもしれません」
 主治医の言葉に僕は安心した。がんの状況によっては、外科手術になる可能性もあったからだ。

外科手術は、体力的への負担も大きい。内視鏡手術ならば負担も少ない上に、身体へ傷も残らない。
「ただし、もう一つ検査をしてから判断しましょう」と先生は続けて話した。次の検査でがんの転移状態を調べるという。
次の検査は三週間後。次も付き添って欲しいという母の願いを聞き入れ、僕はその日のうちに鹿児島へ帰った。
 そして三週間後、がんは転移していなかったことが判明した。
「先生、ありがとうございます」
母はハンカチで目を押さえていた。先生は内視鏡手術で大丈夫だと告げた。健康診断で、初期のうちに見つかったことが不幸中の幸いだったようだ。
「どこで治療されますか?当院でも大丈夫ですが、息子さんの近くでも大丈夫ですよ」
母は最終的に僕が勤務する病院での治療を希望した。僕は鹿児島市内にある総合病院で働いていたのだ。

 そして、手術日前日、僕は空港まで母を迎えにいく。僕の顔を見るなり、「お腹空いたわ」という母を、僕は空港のレストランへ連れて行った。明日からしばらく食事ができない母は、好物の蕎麦を食べたいと言った。
「あなた達にこれからもいろいろとしてあげたいのよ。その為にも、孫たちが大きくなるまでは死ねないわ」
蕎麦をすすりながら話す母は、奄美大島にいた時とは別人のようだった。続けて「絶対に、元気になってみせる」と言った。
「じゃ、手術が無事に終わったら、今まで以上に援助をよろしくね。約束だよ」

僕の言葉に母は「任せなさい」と言った。
 翌日、手術は成功した。一週間入院した後、母は無事退院となる。僕が空港まで送った時に母は言った。
「初めてあんたを産んで良かったと思ったわ」
母の嫌味を聞き、少しは親孝行ができたのかなと嬉しくなった僕だった。