TOP第10回入賞作品第10回 佳作「母の言葉を胸に」
最終更新日 : 2024/12/02

第10回 佳作「母の言葉を胸に」

「母の言葉を胸に」
くじらのアイスさん(高知県 高知市)

 また「問題」が見つかったらしい。私のことではない、母のことである。けれど父からの電話は、決して重苦しいものではなかった。今日の夜ご飯は何にするか?くらいの声色である。そして私も私で「ああ、そうなんだ。うん、わかった」程度の返事である。大げさに振る舞うでもなく、お互いに淡々としている。慣れとは恐ろしいものだ。
 母の身体に問題が見つかったのは、もう何度目かわからない。おそらく両手の指の数ほどはあるだろう。問題の軽重こそあれ、その度に母は入退院を繰り返した。私が小学生のときはがんで、思春期にはC型肝炎ウイルスやらがんの再発やらで。そして私が大人になって家庭を持った今でも、時おり、木枯らし一号のようにそういう知らせがやってくる。そして今回は、悪性リンパ腫だったらしい。
 振り返ってみれば「ああ、今年もまた人間ドックの季節がやってきたのか」と母は、半ば観念したような口調で、私によく言ったものだった。そしてもはや『異常がないかを検査する』というよりも『異常なところをわざわざ見つけに行く』というスタンスに近いとも言っていた。どうせ何かあるのだろう、それならさっさと済ませて治してやろう……と母は、人間ドックに行くときはいつも臨戦態勢のような心構えだったらしい。けれど、問題が見つかったら見つかったで、やはりその日ばかりは落ち込むようで「なんでお酒もタバコもやらない私が、いつもこんな目に合うんだろ……」と、弱気でもあった。けれどそれも束の間で、次の日にはケロっとした顔で「入院までに色々やるかー」と前向きな姿勢になっている。初めのうちは、家族に弱気な一面を見せるまいと気丈に振る舞っているのかなとも思っていたが、そうではなく、本当に色々やりたいと思っているらしい。
 私は今回の母の入院で、一度だけ「人間ドックは怖くないか?」と聞いてみた。私は口には出さなかったけれど、心の中で『知らなくていいこともあるだろうな、本当は病気でも知らないままのほうが幸せなこともあるよな』と思っていた。けれど、母の答は意外なものだった。
「本当に怖くて不幸なのは、自分の身体の真実を知らない、もしくは受け入れないことよ。真実を知っていれば、対処できる。真実を受け入れていれば、自分も家族も心の準備ができる。でも人間ドックを受けず何も知らずじまい、受け入れるヒマもなかったら、ずっとまえに私がこの世からいなくなってて、お父さんもあんたも後悔しながら泣いてたと思うよ。私が病気でも強くなったのは、ありのままの真実を知って、自分の心と身体にきちんと落とし込んで、受け入れたから」
 そう言われて、ハッとした。ぐうの音も出なかった。私は自分の無知が恥ずかしいと思った。人間ドックを受けたこともない、病気の当人になったこともない私が、何を偉そうなことを聞いているのだろうとさえ思った。そして同時に、母はなんて強いのだろうとも思った。考えてみれば、母の言う通りである。母は、入院してからも常に明るく前向きだった。そうした母の前向きに生きる姿勢を、なおのこと整えてくれたのも人間ドックであった気がする。良くも悪くも、現実を真正面から正直に突きつけてくれる。だから対処ができるし、本人も私たち家族も相応の準備ができる。母のように人間ドックの『常連』ともなれば、ある程度は覚悟の上だというから、なおさらその言葉に重みが増すのだろう。そして、母は人間ドックで明らかになった病気その全てを自身の中に飼いならし、乗り越えてきている。本当にスゴイ、としか言いようがない。
 私も、今年で三十六歳を迎える。人間ドックを受けるには適齢であるらしい。妻と一緒に受ける予定ではあるが、母のように、異常なところを見つけに行くという感覚は、到底持ち得ていない。病気をしたこともないし、身体は動くし、適度な運動もしているし、よく寝ているし酒もタバコもやらない。傍から見れば健康体そのものである。けれど、多かれ少なかれ母の遺伝子を間違いなく受け継いでいる身体である。なるだけ虚心坦懐な心持ちで人間ドックに臨みたいと思っているけれど、それでも、いざとなると二の足を踏むだろう。そんなとき、母の言葉を思い出そうと思う。「自分の身体の真実を知らないことが、いちばん怖い」。これほどまでに説得力のある人を身内に持っていることは、私にとって、とにかく心強くてありがたい。