「雲流れゆく」
三宅 加代子さん(福岡県 飯塚市)
50歳を過ぎた頃から、私は誕生日を喜べなくなった。体や心の衰えを突き付けられているようで、嬉しいとは思えなかったのだ。ああまた一つ、歳を取ってしまったと、ため息をつく。それが誕生日の朝の私の姿だった。
けれども、それは身勝手で贅沢な感想だ。誕生日はこの世の幸福として、うけとめるべきなのだ。最近になってやっと私はそう想うようになった。
きっかけはある男性の言葉だ。それは仕事仲間であり、飲み友達であり夫の親友でもあった。快活で几帳面、仕事熱心な彼に異変が起きたのは55歳の時、がんが発見されたのだ。苦しい検査の末に得た結論は「余命3カ月、手の施しようがない」であった。「まだ、死にたくない」悲痛な叫びの裏には理由があった。娘の結婚が控えていたのである。
彼の娘は言った。
「3か月後に結婚したいのです」
母親を早く失い一人娘を男手一つで育ててくれた。その父に花嫁姿を見せてあげたい。
彼女はウエディングプランナーに相談した。
「結婚式は通常、半年から一年かけて準備するものです。厳しいですね」という返事であった。
彼女は諦めなかった。事情を話し、再考を頼んだ。経緯を知ったプランナーはやってみましょう」と返事をしてくれた。
慌ただしい3カ月が、過ぎようとしていた。ところが非情にも、父上は挙式を10日前に控えて天に召された。
「どうして!」彼女は天を仰いだ。寂しい悔しい思いが胸に突き上げてきた。
30年前私も同じようにがんを発病した。がんと聞いただけで私は死を覚悟した。人間ドックによる早期発見と医療スタッフの献身的努力により治癒した。今ほど医学は進歩していなかった時代だ。早期発見の大切さを思い知らされ、毎年人間ドックにお世話になっている。
今でもはっきり覚えている。私75歳。2021年9月23日の午後6時50分であった。急に胸が苦しくなった。夫へ訴えたが5分程度で発作は収まった。私は1日様子を見て明日にでも病院へ行こうと考えていた。
夫は「病院に行った方が良いのじゃないか」と言い彼の車で市内の病院へ行った。彼の判断は正しかった。
病院では検査があり、その結果を見た医師の表情が変わった。
「このままでは命の保証はできない。直ちに手術を行う。病名は急性心臓大動脈乖離です。手術には8〜10時間を要する。心臓からの大動脈が乖離(裂けて)し出血をしている。心臓を体外に取り出し、血管をとりかえる。もたもたしていると脳、肝臓、腎臓などへ血が流れなくなる。大手術です。ある程度覚悟をしていて下さい」。
麻酔を受け、もうろうとしながら、医師から夫への説明を聞いていた。
手術中控室で待機していた夫も、気が気ではなかった。もっと私に優しくしてあげればよかった。運よく助かれば心を入れ替えて接していきたいと反省ばかりであったという。
深夜の時間帯にも関わらず、医師はじめ医療スタッフの懸命な努力により私は助かった。
九死に一生を得る思いというのは、こういうことを言うのであろう。
結果論であるが夫の正しい判断がなければ、恐らく私は逝去していたであろう。夫が判断したのには理由があった。
人間ドックの結果心臓の血管に瘤があり、定期的に健診をしていた。異常があれば手術もやむなしの状況であったのである。
私「あなたが84歳、私が77歳。ここまでよく生きて来たわね」
夫「皆様に大変お世話になってきた。人間ドックと定期健診のお陰だよ」
「がんや動脈溜の発見だけでなく、生活習慣に対し、厳しい指摘を受けた。酒の量も控え、たばこもやめたよ」
私「糖尿病に注意するよう指摘を受けたわ。運動の大切さが理解できた。体重も減ったわよ」
夫「知人、友人へ定期的な健診を勧めるよ」
私「病気になって、初めて健康の有難さを知ったわ。食事ができる、歩くことができる。普通のことが普通にできる。このことが今輝いて見えるようになったわ」
「残り少なくなった人生。健診を受けながら世の中に役に立つことを考え、所作を正し、誠実に生きて行きましょう」。
夫は視線を空へ移した。上空には風があるらしく、一片の雲がゆったりと流れていた。