「あたりまえでない日々に感謝」
10時間睡眠さん(島根県 出雲市)
私は、がん病棟で働いている看護師である。
血液を作る骨髄のがんである血液腫瘍や、各種臓器にできた固形がんに対し、手術や、化学療法(点滴治療)、放射線療法による治療の一翼を担っている。がん病棟の看護師は、日々がんと闘っておられる患者さんを、直接応援・支援できる仕事である。
そんな私の右乳房に、人間ドックで軽度の異常が見つかった。
精密検査の結果を見た時は、思わず病棟の患者さんたちが目に浮かんだ。医師から初めてがんと告げられた時の患者さんの様子。人によっては副作用で辛い思いをされた方々。そして闘いを終えて最期の時間を一緒に過ごした方々。
私の家族は、夫と小学生の3人の子供たち。人間ドックの結果を告げて、彼らに心配をかけたくなかった。だからこそ、「お母ちゃん、こないだの人間ドックで右胸に異常があるって出たよ。でもね、良かった~、あなたたちに散々おっぱいやった後で。もうおっぱい飲む必要ないもんね。」と明るく告げた。全員ぽかんと口を開けたまま、何も言わなかった。そのまま私はリビングから離れた。夫は幼いころに胃がんで父親を亡くしており、寂しい思いをしてきた。夫にも様々な思いが去来していることは容易に予測が出来たし、子供達がどんな反応を示すのかも、見るのが怖かった。
しばらくして、お風呂の電気がついていることに気が付き、確かめると、小学1年生の末っ子が、浴槽につかって泣いていた。3人兄弟の中で一番やんちゃで手がかかる男の子。姉や兄にやり込められる前に手や足で応戦してしまう幼い子。間違いなく兄弟の中でこの子が一番甘えん坊だ。1人でお風呂なんて、入ったこともなかったのに。堪らなくなって、私もお風呂に入り、彼を抱いて一緒に泣いた。絶対に死にたくない、と強く思った。
精密検査の結果は、幸いがんの前段階で、経過観察で大丈夫と言われた。今後は半年ごとに健診を受けて、大きくなったらまた治療を考えましょう、とのこと。毎年欠かさず人間ドックを受けているからこそ早期発見出来たのである。
がんと言う病気を、分かった気になっていたのに、私は何も分かっていなかった。その病名を告げられる恐怖。足元から崩れるような喪失感。
悪い方にばかり働く想像力。
人間ドックで乳房の異常を早期発見できたことで、今日も又、私は子供たちを思いっきり抱きしめることができる。あたりまえでない毎日を、今日も感謝しながら過ごしている。