「命のお返し」
浅野 理恵さん(福岡県 郡山市)
私たち家族は人間ドックにとても感謝しています。それは母の病気を早期発見してくれる大切なきっかけになったからです。あれは今から七年前のことです。その年、私は結婚して夫婦で住む家を購入しました。そのお祝いのお返しに何が良いかとあれこれ考えていました。高級な温泉宿か上質なお肉のギフトが良いかなど候補を挙げた中で一番しっくりきたのが人間ドックのプレゼントでした。両親にはいつまでも健康で人生を楽しんで欲しいと考えたからです。以前に父が脳梗塞を患ったので奮発して脳ドックのオプションをつけました。泊りの人間ドックの提案に最初こそ腰が重そうだった両親も前日は旅行に行くように楽しそうに準備していました。そして、人間ドックが終わって帰ってくると「ご飯が豪華で美味しかったわ。」と嬉しそうに話してくれました。
しかし、後日急に母から電話がかかってきました。「私、頭の中の耳の神経に腫瘍ができてるんだって…。」母の声は明らかに動揺していました。すぐに地元の総合病院に精密検査の予約を取りました。検査の結果は聴神経腫瘍でした。医師の説明では良性のことが多いがこれ以上大きくなるという脳幹という生命維持に大切な部分を圧迫して命に関わることがあることや、めまいやふらつき、聴力の低下を引き起こすため摘出手術が望ましいという診断でした。そのまま大学病院を紹介され入院・手術をすることになりました。執刀医から手術後にめまいや聴力の低下が起きる可能性があることや脳梗塞などの血栓症の予防が必要であること、手術後は早期にリハビリテーションを行うことなどの説明を受け、様々な書類にサインする母の顔はとても不安げに見えました。私も手術後のリスクがあることは覚悟していたもののとても心配で手術前夜はほとんど眠れませんでした。
手術の朝、「行ってきますね~。」と母のから元気のような声が病室に響き渡るなか家族で「頑張ってね。」と母を見送りました。それからずいぶん時間が経ってお昼を過ぎた頃に母の手術が無事終わったと看護師さんが知らせてくれました。その後、執刀医からも説明があり、比較的大きな腫瘍だったが周りの組織のダメージが少なく、きれいに摘出できたとのお話を聞き、ホッと胸をなでおろしました。まだ集中治療室で眠っている母の隣で荷物を整理していると「もう終わったの?」と母が目を覚ましました。「どこか痛い?」と問いかけると「懐かしらね…」とガーゼで覆われた頬がニコッと微笑むのがわかりました。その返答を聞いて母は大丈夫だなと思ったことを今でもよく覚えています。
翌日の夕方お見舞いに行くと母は点滴台を押して歩いてトイレに行っていました。幸い軽度のめまいはあるものの聴力低下などの後遺症はほとんどなく、病理検査でも良性腫瘍であることがわかりました。それから二週間リハビリテーションを頑張った母は入院前よりややスリムになり、イケメンのリハビリテーションの先生が担当だったことがラッキーだったなどと冗談を言えるまでに回復して退院しました。これも手術をしてくれたお医者さんや日々のケアをしてくれた看護師さん、母を若返らせてくれたリハビリテーションの先生のおかげだと心から感謝しています。あれから七年が経ち、母は後遺症もほとんどなく、毎年定期検診を受けていますが、再発せずに過ごせています。今では私にも娘が生まれ、おばあちゃんになった母は実家に立ち寄ると「かわいいねぇ。ほんとかわいい。」と言いながら孫の遊び相手を楽しそうにしています。そんな母の姿を見ているとあの時人間ドックを、そして脳ドックを受けて良かったと心から思うのです。もしもっと重い症状がでてから発見されたら母はこうして目の前で笑って、孫の遊び相手が出来なかったかもしれません。人間ドックは誰にとっても多少憂鬱なものだと思います。でもそれによって受けられる恩恵や安心感はお金では買えない大切なもののように思います。その年から我が家では仕事が忙しくとも必ず皆健診を受けるようにしています。手術から五年たって定期検査を無事再発なく終えた母がふと私に言いました。「お家を買ったお祝いをあげたら、お返しが命のお返しになったわね。」と母は朗らかに笑いました。「命のお返し」となった人間ドックのプレゼントはどんな高級な温泉宿や高級肉よりも母の人生を豊かに繋いでくれました。
まだコロナ禍も収束しない中でなかなか医療機関への足も遠のきがちかもしれません。しかし、人間ドックを受けることは我が家のように家族の未来を守る大切な機会になるかもしれないのです。だからこそ自分や大切な家族のためにも一人でも多くの人に継続して人間ドックを受けていただけたら良いなと思います。