TOP第9回入賞作品第9回 優秀作品賞「始まりとしての検診」
最終更新日 : 2024/12/04

第9回 優秀作品賞「始まりとしての検診」

「始まりとしての検診」
ター坊さん(埼玉県 所沢市)

「俺は血液型以外は全部Aだ」
そう豪語していた親友に昨年胃がんが見つかった。きっかけは人間ドック。
「いつ死んでもいいようにとりあえずゴルフ行こうぜ」
その声は意外と明るかった。
 電話を切ったあと何とも言えないしこりが残った。聞けば療養のため依願退職をしたという。それでもまだ息子は高校生。奥様も持病のヘルニアが悪化し家事もできないらしい。そんな彼に一体どんな言葉をかけたらいいのだ。
「間違っても『がんばれ』なんて言わないでよね」
空気の読めない私に釘をさすように妻が言った。
 それでも約束の日は来た。同時に憂うつな気持ちも襲ってきた。
「おう!久しぶり」
「お、おう……」
 えぐり取られたように痩せた頬。ダブダブのスボンに、ヒョロヒョロとした身体。まるで骨が歩いているかのよう。
「何だよ!そんなジロジロ見るなよ!照れるだろお」
背中をバシッと叩く。その手のひらもどこか筋っぽかった。
 ラウンドを回る間も彼は終始明るかった。つまらない親父ギャグを言ってはキャディさんを失笑させ、こちらをヒヤヒヤさせた。
「オレ胃がんでさ、胃がん退職したんだぜ〜」
こんな時によくこんなことが。私も一緒に笑いかけて、でも胸が締め付けられて、うまく頬は緩まなかった。
「お前、何でそんなに明るくいられるんだよ」
 アフターのファミレスで私は尋ねた。本来励ます側の立場なのにラウンド中は終始励まされてしまった。だけど彼は言う。
「そりゃショックに決まってるだろ。人生終わったって思ったよ」
どうやらここ数年は検診を受けるたび病気が見つかったという。仕事も休職せざるを得ず、教育費や住宅ローンといった家計の悩みも尽きない。だけどこうも続ける。
「病気が見つかって医者にあと二、三年って言われた時『じゃあ急いで楽しまなきゃ』って思えたんだよね。もちろん病気にならないのが理想的だけどそうはいかないから。だって二人に一人ががんの時代だぜ」
二人に一人。夫婦ならどちらか。両親だってどちらか。考えただけでもゾッとする。
「だから今は見つかって良かったって思ってる」
だが彼がこう語るには別の理由がある。
「それにさ胃がんってわかってから、ろくに勉強もしなかった息子が俺の会社を継ぐって塾に行き始めたんだよ。今まで通知票が『1』や『2』だったアイツがだぜ。急に『つぎます』って言うから『酒か』って聞いたら『会社です』っちゅーからさ」
言葉の端々に親としての嬉しさが滲み出る。どうやら奥さんも受診の日には必ず付き添い、あまりに苦しい時は添い寝もしてくれるようだ。
 命の限りが見えることは平凡な幸せに気づき、相手の尊さに気づくことでもあるのだろう。
 そんな彼は「今が一番幸せ」と言う。
「ほら、これ」
そう言ってカバンから取り出した通帳。表紙には『森田家検診預金』とある。
「なんだよ、これ」
「結局死んだら何もできないからさ。俺が死んだあとも元気でいられるように。いわゆる、健康のヘソクリってやつかな」
検診預金はここ数年のうちに始めたという。それまで表紙に『娯楽費』と書いていたががんが見つかってから考えが変わった。残された家族には毎年必ず検診を受けて欲しいといまも強く願う。
「遺言状にも毎年検診を受けて仏前に報告って書いてさ。もちろんこの検診預金はその後のランチ代も入ってるわけで。実際そっちの方が高いんだけどね」
そう茶目っ気たっぷりに笑う。そんな彼は明日、奥様の人間ドックに付き添う。一分一秒でも長く居られたらいいし、少しでも長く支えになれたら、もっと、いい。常にその思いだ。
 検診で病気が見つかった場合、しかもそれが深刻な病気だとしたら、人は『終わった』と思うだろう。しかし彼に言わせれば検診は『スタート』なのだ。これからをどう生きるかの始まり。病気とどう向き合うかの始まり。人生をどう楽しむかの始まり。そんな『始まり』としての検診を受けない理由はないと言う。
「ところでお前、ちゃんと検診受けてんの?」
「おう、まあな」
 ファミレスを出ると私は早速スマホを取り出した。検診予約完了のピピッという音は、人生の再スタートの合図みたいだった。