TOP第9回入賞作品第9回 佳作「スーパーマン」
最終更新日 : 2024/12/04

第9回 佳作「スーパーマン」

「スーパーマン」
河田 光子さん(愛媛県 松山市)

 私にとって母は常にスーパーマンだった。生まれ持った気質なのか、苦労続きだった人生が影響しているのか、それとも相乗効果だったのか。実母が早世した母は幼い弟妹たちの世話をしながら家業の手伝いもしていた。「忙し過ぎて学校に行く時間もなかったんよ。」
 一度だけ寂しそうに語った事があった。三十五歳の時、当時としては遅い結婚をした。平和な家庭生活が送れると思っていた矢先、夫が亡くなった。以後母は私を女手一つで育てる事になる。
 もしも私が母と同じ立場になったら、自分の運命を悲観し、幸福そうな人々を羨み、とても嫌な人間になっていたかもしれない。けれど母は違った。私の知る母はいつも笑顔を絶やさなかった。天気が良いと
「洗濯物がよく乾く。」
雨が降ると
「植物が喜んどる。」
 どんな事もポジティブにとらえていた。困っている人を見かけると放っておけない。我が家の生活だってギリギリなのにお金を貸してあげたり、食材を分けてあげたりしていた。
「損ばっかりしよる。何も返って来んし。」
 ある日、愚痴る私に母は言った。
「笑顔が返って来る。」
と。当時母は布団の仕立業と洋裁を生業にしていた。ある年の私の誕生日。母はアイデアと技術を駆使しとても素敵なワンピースを作ってくれた。参観日に着て行った私を見て、一人の母親が叫んだ。
「母子家庭のくせに贅沢な。」
 私は俯く事しかできなかった。その時母の凛とした声が教室に響いた。
「私は誰の力も借りず一生懸命働いて得たお金で娘に洋服を作ったんです。誰にも非難される筋合いはありません。」
 母の言葉は私に勇気と誇りをくれた。月日が流れ、私は結婚が決まった。当然母と同居する予定でいたが、母は拒否。一人残す母のことを思うと喜びも半減した。今までは母は風邪で寝込んだ事も大病を患った事も無い。早朝から夜更けまで元気に働いて来た。しかしこれから何が起こるかわからない。この機会に人間ドックを申し込んだ。
「どっこも悪くないのにもったいない。」
と渋る母に
「私が安心して嫁ぐためにお願い。」
と頭を下げた。結果はどこも異常無し。母のドヤ顔に皆が安心した。
 二人の息子に恵まれ、子育て、家事、仕事と私は目まぐるしい日々を送っていた。相変わらず母はパワフルな日々を過ごしている。困ったことが起きるとすぐに駆け付けてくれた。人の事だけに一生懸命な母。自分の事は二の次。
「お誕生日何が欲しい?」
と、聞いても
「あんたたちの笑顔だけで充分。」
としか言わない。そんな母に息子たちがプレゼントしたのが人間ドック。可愛いい孫たちからの贈り物なら断れない。それでも
「どっこも悪くないのにもったいない。」
と、母の口癖。私たちは笑いながら母を送った。
 しかし、結果は胃ガンが発見された。医師から
「五年生存率 三割です。」
と、告げられた。目の前が真っ暗になった。母に甘えていた自分を責めた。母にはがんと告知した。
「先生にすべてお任せ致します。」
と冷静に母は答えた。手術は八時間に及んだ。毎年毎年、祈る思いで検診に付き添った。
「再発の心配はありません。」
医師の言葉に私は人目もはばからず号泣した。
 その後母は八十六歳で天国へ旅立った。いつものように朝食をたいらげ
「あー美味しかった。満足、満足。」
と手を合わせた後、還らぬ人となってしまった。母らしい最後だった。いつもみんなを支え、身も心もスーパーマンだった母。
「だけど、スーパーマンにも人間ドック必要だったね。」