TOP第9回入賞作品第9回 佳作「共に歩み、共に生きる」
最終更新日 : 2024/12/04

第9回 佳作「共に歩み、共に生きる」

「共に歩み、共に生きる」
鈴木 美由紀さん(福島県 白河市)

 「ついに捕まっちゃった。」
 微かに震える声を全身で感じながら、今、乳癌の告知をされた母の手に右手を重ねる。
 昔、母も祖母の告知を黒電話で受け一人畑で隠れ泣いた時、どれほど辛かっただろう。
 そんな事を思い出しながら、この追跡者から如何に逃げ切るか、頭の中はその事でいっぱいだった。

 思えば母は人一倍癌に対して敏感だった。
 年一回の検診はもちろん、セルフチェックも熱心にしていたと思う。それは自分と家族の為だったと思うが、きっと母の母、私の祖母とあるご婦人が関係しているのだろう。

 母が二十二・三歳の頃、祖母は胃癌を患い大学病院に入院していた。容態は徐々に悪化し、大部屋から二人部屋に移された。
 当時、入院中の付き添いは不可だったが家が遠方の為と頼み込み、母は約半年間病院で寝泊まりしながら祖母を看病したそうだ。
 その時同室となったのが祖母よりも少し年上の乳癌を患った元教師のご婦人だった。
 元教師という事もあるのか言葉使いの美しい、品のある方で「お口よごしにどうぞ」と言ってお菓子をくれたという。そして母は母で祖母のついでと御膳を下げたり、ごみを捨てたりと気に掛けていたそうだ。
 そして、ご婦人の手術日が近づいたある日、「あなたの今後の為に」と、自分の乳房(ちぶさ)を母に触らせてくれたのだ。温もりの奥に刺々したイガグリの様な腫瘍があったそうだ。
 血の繋がりも無い、出会って間も無い若者に、自分の体を教材にして癌を教えてくれた。
 私はその話を聞く度に、母が結婚する前から産まれてくるであろう私達孫に逢いたがってくれていた祖母と “お口よごし”という品のある言葉の響きとセルフチェックの大切さを母に教えてくれたご婦人に思いを馳せるのだった。
 そして母にとってその経験は、結婚し、子供を産み育て今に至るまでとても役立っていると言う。
 過去に一度、母は自分で腫瘍を確認し、摘出手術を受けている。そして、今回の腫瘍もセルフチェック時に確認したのだった。二度目という事もあり、癌の場合は乳房(にゅうぼう)全摘出すると告知前から決断していたそうだ。
 その選択に私も異論は無かった。転移の可能性があったからだ。エゴであっても、全摘出してでも母に生きて欲しかった。

 コロナ禍の為、手術当日自宅待機だった私達家族に手術が無事成功したと連絡が入った。
二年間は再発のリスクが高いものの、周辺組織やリンパへの移転は確認されなかった。
 この世の終わりが去り、急にいつもの日常が動き出した。今思えばなんて単純だったのだろう。喜びよりも拍子抜け感が上回ったのを覚えている。
 その後、後遺症もほぼ無く、日常生活が落ち着き始めた頃、心配は勿論、興味本位もあり、母に手術痕を見せて欲しいとお願いした。
 「まだ、自分でもあまり見れていないのよ。」
 レースカーテン越しに西陽が差し込む部屋でぽつりとこぼし、母が服をたくし上げると痛々しい手術痕が口をへの字にして泣いていた。そっとその口に触れる。すると嗚咽と共に私の中に恐怖と怒りが沸き上がってきたのだ。
 あぁ、母は無事ではなかった。
 兄と私を育んでくれた乳房(ちぶさ)。
 女性として母が大切にしてきた乳房(ちぶさ)。
 それを追跡者は奪っていったのだ。そして、まだ命を狙っているかもしれない。
 そんな中、拒む事なく手術痕を見せてくれた母。祖母と“お口よごし”のご婦人が母を通し、私にまで健やかである事の大切さを教えてくれたのだと感謝した。

 現在、二カ月に一回の通院で経過観察をし、もうすぐ手術から二年目を迎える。
 今では通院時にどこで食事をするかが私達の楽しみとなっている。それはまるで私が幼い頃、病院でいい子にしていたご褒美にと院内の売店で買ってくれるカラフルなサクマドロップスみたいだと二人笑い合っている。

 私もいつか母が祖母を守り看取った様に、大切な人達を看取り、自分も死を迎える。
 この世の理は無常かもしれない。でも、想いは常住かもしれない。
 それならば、自分の大切な人達や自分を想ってくれる人達、時には追跡者でさえも力強く肩を組みながら、二人三脚、三人四脚、四人五脚…と、真っ直ぐ、時には寄り道したと笑い合いながら生きていきたい。