「父との約束」
Y.K.さん(埼玉県)
「俺の腎臓をあげる」
夫にこう言われた日、私は医師から移植を勧められた。きっかけは会社の人間ドック。腎臓にあった嚢胞が大きくなっていた。
「このまま透析をしても良くなる見込みはありません。移植をしないと五年先まで……」
生きられない。医師の言葉にそう感じた。その日どうやって家に着いたか覚えていない。父も腎臓が悪く、亡くなるまで透析をしていた。しかし移植となるとドナーが要る。今のところ頼れるのは夫しかいない。もし移植をしたら、夫の命はどうなるのか。これまでと同じ生活は送れるのか。仕事は?趣味は?不安は尽きない。
その日からネットで検索しては落ち込む日々を過ごした。
『移植 後遺症』
『ドナー 五年生存率』
『ドナー リスク』
移植をすれば夫は腎臓を一つ失うことになる。それは夫婦も同じこと。二人のうち一人がいなくなると、残された方はあっという間に『ひとりぼっち』になってしまう。夫は夫で「手術をする前に、最後、フルマラソンに出ておこう」と言う。その『最後』が『最期』に思えて何だか申し訳なくなった。
「ごめん。やっぱり移植はしない」
ある日意を決して夫に言った。夫は驚き、少し考え、「それは譲れない。天国のお義父さんとの約束だから」と真っすぐ私を見た。
実を言うと父は結婚した年に亡くなっている。病室で「結婚させて下さい」と頭を下げる夫に対し、開口一番。「人間ドックの結果を持って
来なさい」と静かに告げた。しかしそれまで健診など受けたことのなかった夫は慌てて市の人間ドックに申し込んだ。だが結果は散々。脂肪肝が
見つかり、医師からは「このままだと透析になりますよ!」とまで言われてしまう。
「正常値になるまで結婚は許さない!」
父は病室で語気を荒げた。
その日から夫のダイエットが始まった。食事は野菜メイン。お酒の代わりに麦茶を飲み、通勤は専ら自転車に。夫婦でランニングを始めたのも確かその頃だった。ランニングウェアで父の見舞いに行くと『おお!だいぶ腹回りがスッキリしたなあ!』『今日も元気そうだな!』『ふたりで来てくれて嬉しいよ!』とご満悦。その一つ一つが祝福のメッセージ。いつだって父は私たちのことを応援してくれた。だから私は祈った。信じた。父が結婚式まで生きていてくれることを。
しかし亡くなる前日。父は病室に夫を呼びつけた。
「私はもう先が長くない。結婚式には出られないだろう。でも君なら安心して任せられる。この先もずっとゆみをお願いします」
父の声は、最後、涙で詰まった。
夫はこの時のことをこう語る。
「お義父さんは君をおいて逝くことを申し訳なく思っていた。男手ひとつ。色んな苦労があった。だからこそ俺に健康であることを求めた。元気でいれば、君を守ることも、支えることも、笑顔にすることもできる。それはお義父さんの願いであり、俺に課せられた使命なんだ」
私はそれを聞くなり、膝から崩れ落ちそうになった。父は分かっていたんだ。残された命の短さ。残された者の悲しみ。苦しみ。だからこそ私の幸せを強く願った。「正常値になるまで結婚は許さん!」は紛れもなく父の愛だった。
人は何のために健康でいたいのか。その答えは、きっと、ひとつじゃない。家族。仕事。趣味。私たちを取り巻く環境は様々だから。その中で「この人のために元気でいたい!」と思えたらいいし、それが健康を守る行動につながったら、もっと、いい。
正直私の病気に治癒はない。今や八人に一人が腎臓病を経験する時代。世の中には移植を必要とする人もいるし、週に十九時間の透析が必要な人もいる。だからと言って「かわいそう」とは思って欲しくない。たとえ難しい病気であっても「見つかって良かった」と思えることは生きる希望につながる。そういった意味では『腎臓も、夫婦も、ふたりでひとつ』と言ってくれた夫を誇りに思う。
まもなく迎える移植手術。手術も怖いが、術後も怖い。だけど乗り越えるつもりだ。すべては父との約束を果たすため。夫婦として幸せに生きるため。
強く結んだ指切りに『アイシテル』の想いを込めて。
