「ありがとう」
渡部 光子さん(愛媛県)
私の姑は天使のような人だ。自分の事より人の事を優先し、困っている人を見かけると一番に駆けつける。彼女は以前、小さな定食屋を営んでいた。そこそこ繁盛しているわりに、経営状態はいつも赤字、理由は明らか。
お客さんにサービスし過ぎるから。食欲旺盛の人には小皿を何皿も無料で提供、ご飯も大盛り。かき氷の時期は惜しげも無く高価な練乳をたっぷりかける。しかし中には彼女の性格を利用し料金をごまかす人、おでんの串の数をごまかす人も居た。そんな現状を目の当たりにしていた私の夫は母親に苦言を呈したが、彼女は
「かまんかまん。皆がお腹一杯になってくれたらそれでいい。」
と、笑っていたらしい。
男の子二人の母親だった姑、初めてできた娘の私をとても可愛いがってくれた。彼女は話の最後に必ず
「ありがとう。」
と、言う。いつの間にか私も
「ありがとう。」
が、口癖になった。
「健康だけが取り柄でね。」
と笑う姑だったがやはり若い頃の様に身体は動かない。夫と相談し、今までの感謝の気持ちを込め一泊二日の人間ドックをプレゼントした。当然姑は
「こんな高価な。もったいない。」
と、辞退したが、可愛い孫たちの勧めもあり承諾してくれた。私たちは軽く考えていたのだが思いもよらず姑は大腸がんだった。最悪、人工肛門も念頭に入れておくようにと医師に告げられた。姑のショックを配慮し人工肛門の事は告げず手術を行う事だけを告げた。
「この歳になると、一つぐらい悪い所はあるけんね。」
と、気丈に笑っていた彼女が密かに泣いている姿を私は見てしまった。今までも、明るく振る舞いながら一人で泣いていたであろう彼女の姿を想像し涙が止まらなくなった。手術の結果人工肛門は不必要の診断がなされた。
あとは無事五年が経過するのを待つだけだ。姑の住む地域に総合病院は一つしか無い。驚いた事にこの病院のスタッフの中に姑の定食屋でお腹を満たした人が少なくない数存在した。皆、時間を調整して姑の病室を訪れてくれた。姑の入院を知り遠方から駆けつけてくれた方も少なくない。おかげで姑の病室は美しい花と、沢山の人の笑い声に満ちていた。
姑は現在八十七歳、元気で人助けに走り回っている。あの日の人間ドックのおかげで私たちは最愛の肉親の命を救われた。加えて数多くの人々の愛に触れた。人間ドックのおかげで私たち家族の笑顔がある事に感謝すると同時に、こんなにも沢山の人達に姑は愛されていた事に改めて気付いた。
私と姑は年に一度 一緒に人間ドックを予約する。この先もずっと未長く姑と暮らせる事を祈りながら。
