TOP第11回入賞作品第11回 優秀作品賞 「「誤診」が救った二つの命 〜人間ドックが教えてくれた明日への希望〜」
最終更新日 : 2025/07/01

第11回 優秀作品賞 「「誤診」が救った二つの命 〜人間ドックが教えてくれた明日への希望〜」

「「誤診」が救った二つの命 〜人間ドックが教えてくれた明日への希望〜」
藤原 光璃さん(神奈川県)

「心筋肥大症の疑いがあります」

 その言葉を聞いた瞬間、時間が止まったように感じた。定期健診の結果を受け取った日のことだ。心電図に異常が見られるとのことで、精密検査を勧められた。心臓、私たちの命の源。それに異常があるかもしれないという事実は、これまで健康に何の不安も持たずに生きてきた私にとって、青天の霹靂だった。

 不安に押しつぶされそうになりながら、医師に勧められるまま人間ドックの予約を入れた。検査日までの二週間は、これまで経験したことのない
長さだった。ネットで心筋肥大症について調べれば調べるほど、不安は膨らむばかり。肥大型心筋症は重篤な不整脈や心不全、さらには突然死を引き起こす可能性がある―そんな情報が頭から離れなかった。

 検査前日の夜、実家の母に電話をした。しかし、余計な心配をかけまいと、健診のことは黙っていた。「元気にしてる?」と聞かれて「うん、元気だよ」と答えながら、目頭が熱くなった。この何気ない会話が最後になるかもしれないという思いがよぎったからだ。

 検査は予想以上に詳細だった。心電図、心エコー、血液検査、レントゲンなど、さまざまな角度から私の体を調べていく。廊下の窓から見える桜の木が目に入った。まだ蕾だったが、あと数週間もすれば満開になるだろう。「もし最悪の結果だったら、今年の桜を見るのは最後かもしれない」そう考えると、胸が締め付けられる思いだった。病院の廊下で、一人立ち尽くしながら、今まで気に留めることのなかった日常の美しさに気づいた瞬間だった。

「結果は良好です。心筋肥大の所見はありません。スポーツ心臓の特徴が見られますね。日頃から運動されているんですか?前回の心電図は機器の誤作動だった可能性が高いです」

医師からその言葉を聞いたとき、安堵で体の力が抜けるのを感じた。普段から続けていたトレーニングが話題になるとは思わなかった。診察室を出た後、病院の外で深呼吸をした。空気が、光が、人々の声が、全てが新鮮に感じられた。「生きている」という実感が、これほど鮮明に感じられたことはなかった。

 実は、この出来事の半年前に、学生時代の恩師ががんで亡くなっていた。まだ40代という若さだった。最後にお見舞いした時、ベッドサイドに座っていた小学校2年生の息子さんが「パパね、いつもお仕事ばっかりで、お医者さんに行くの嫌いって言ってた」と大人びた顔で教えてくれたことが忘れられない。幼い子を残して逝かねばならない恩師の無念さが胸に刺さった。恩師の死後、自分自身も便が細くなったような気がして、「もしかして大腸がん?」と不安に駆られることがあった。しかし、今回の人間ドックではそういった懸念も一掃され、正常であることが確認された。

 この経験から、私は人生の残りの時間、自分の余命を強く意識するようになった。心筋肥大症の疑いは晴れたものの、人間の命は予測不能だと痛
感した。医師からは「今回は大丈夫でも、定期的な検査は必要です」と言われ、健康であることが永遠に保証されているわけではないという現実を突きつけられた。

 あの「心筋肥大の疑い」がなければ、私はおそらく人間ドックを受けていなかっただろう。結果的には「誤診」だったが、この経験は私に大切なことを教えてくれた。

 そして私の意識は、自分自身から家族へと広がっていった。母は還暦を過ぎ、「歳だから体の不調は当たり前」と言って、長年健康診断を受けていなかった。

 先日、両親に電話をかけ、人間ドックの予約をするよう説得した。最初は渋っていた母も、私の体験を聞いて考えを改めてくれた。「あなたがそこまで言うなら、行ってみるわ」と言ってくれた時の安堵感は今でも忘れられない。

 実は母の検査で初期の大腸ポリープが見つかった。まだ小さく、すぐに切除できたが、医師からは

「放っておけば数年後に大腸がんになっていた可能性が高い」と言われたそうだ。

 母は電話越しに、少し震える声で言った。「あなたに言われなかったら、行ってなかったわ。命拾いしたよ」

 私は言葉を失った。あの「誤診」がなければ、私は人間ドックを受けなかった。そして母を説得することもなかっただろう。一見、不運に思えた出来事が、巡り巡って大切な人の命を救うことになったのだ。

 今では年に一度の健康診断は、私にとって「命の棚卸し」のような時間になった。健康診断や人間ドックは、単なる病気発見の手段ではない。それは自分と大切な人たちの未来を守る、かけがえのない盾なのだと実感している。世の中には偶然ではなく、必然があるのかもしれない。「誤診」という偶然が、私と母を救う必然になったのだから。

 今年も桜の季節がやってくる。母と一緒に花見に行く約束をした。去年は一人で見上げた桜を、今年は母と共に眺める。健康という贈り物がある
からこそ、私たちは明日という日を、希望を持って迎えることができるのだから。