TOP第11回入賞作品第11回 佳作 「膵臓がんを乗り越えた父。21歳の私が伝えたいこと」
最終更新日 : 2025/07/01

第11回 佳作 「膵臓がんを乗り越えた父。21歳の私が伝えたいこと」

「膵臓がんを乗り越えた父。21歳の私が伝えたいこと」
坂井 愛さん(岐阜県)

 2025年1月3日。私は一生、この日の出来事を忘れないだろう。新年のお祝いムードの中、家族4人で初詣に出かけ、お雑煮と共にテレビの特番を楽しむはずだった。しかし、母から告げられた言葉は私の予想を超えていた。

「人間ドックの結果、お父さんは膵臓がんの疑いがあるって。大きな病院で詳しく検査を受けることになった。」

 その瞬間、何かの間違いだろうと思った。父は、52歳でとても元気な人だった。医療系の自営業をしており、週に4回も会食をこなし、よく遅くまで仕事をしている。親戚や友人も

「お父さんは本当に歳をとらない元気な人だね」

とよく褒める、そんな父が膵臓がんなんて信じられなかった。

 私は、母にいくつかの質問をした。「いつ膵臓がんだと分かったのか?」「手術はいつなのか?」「医師から余命について何か言われたか?」 聞きたいことはたくさんあったが、これ以上母を不安にさせるのは良くないと思ったので、これだけで我慢した。

 その時に初めて、父の身体の変化ががんに関係している事に気づいた。父は、以前から肥満気味だったが、最近、私と散歩を始めることにして、少しずつ体重が減っていた。私は単純に良い方向だと思っていたが、がんの影響で「食べていても痩せることがある」と聞いたとき、なぜ父の体調の異変を見逃していたのか、と後悔した。

 その後は、自分の部屋に戻り、涙が止まるまで泣いた。就職活動が上手くいかないことなんて、父さえ無事でいてくれれば、もうどうでも良くなった。反抗期の頃は、あれだけ父が嫌いだったのに、今となっては寂しさが増してしょうがない。作年末に和歌山へ旅行に行ったとき、父はどんな気持ちだったのだろうか。これが最後の旅行だと思いながら、ひとりでその重荷を抱えていたのだろうか。そのことを考えると、胸が張り裂けそうで、涙が止まらなかった。

数週間後、父は「長期出張が入った」と言い、さりげなく私と妹にハイタッチをして家を出て行った。母からその後のことは聞いていたが、私は父が選んだ方法を尊重し、知らないふりをした。その辛さは想像以上だった。父は私や妹に余計な心配をかけまいと考えたのだろうが、家族として支える側の私たちもまた、予想以上に大変な思いをしていた。

 そして、先日、父は無事に退院し、家に帰ってきた。もう数ヶ月も仕事を休んでいるが、家族4人で過ごす日常が戻ってきた。その平穏が何よりもありがたく、私の心にも穏やかさが戻ってきた。しかし、 その安心感が芽生えた瞬間、ふと危機感を覚えた。この経験が日常に埋もれて、忘れ去られそうな気がしたのだ。それだけは絶対に避けなければならないと、改めて決意をした。

 私は、人間ドックを習慣として受けるべきだと思うようになった。父の体験を通して、健康の大切さを痛感したからこそ、今後も自分自身や家族の健康に気を配り、みんなが元気でいられるように心掛けたいと思う。

 このエッセイを書くなかで、父の顔が何度も思い浮かんだ。誰かが、大切な人を守れるように、私はこの経験をこれからも伝えていきたいと
思う。