「つなぐ命、つなげる愛。」
南出 英則さん(石川県)
明けゆく空を仰ぎ、さわやかな空気を胸いっぱいに吸い込みながら新聞配達に汗を流していると、道で出会う人々が友達か親戚のように思えてきます。
足を引きずりながら走っていると、だれもが、気持ちのよい挨拶の言葉をかけてくれますし、抱えている配達袋の重さをいたわってもくれます。
みなさんに、「元気そうですね」とか「丈夫ですね」と声をかけてもらいます。
でも、泣きたいほどの悲しみや、死にたいほどの苦しみを乗り越えてきたことは、天国の家族しか知る由もありません。
私たち家族が乗る自家用車に、居眠り運転の大型ダンプカーが追突して乗り上げた事故は、もう二十数年も前のことになります。
家族の楽しいドライブが、一転して不幸のどん底に突き落とされることになりました。
救急病院に運ばれ、半年後に意識を回復した私の心とからだには、激しい痛みが待ち受けていました。
全身が複雑骨折し、バラバラになった肋骨が喉に突き刺さった状態で、二年間に及ぶ検査や手術は、本当に大変でした。
しかし、手術の度に何度も精密検査を繰り返してもらったせいで、普通なら発見されないすい臓のがんが見つかりました。
そのとき治療に当たってくださった先生の言葉が、いまでも忘れられません。
「あなたは大変な事故に遭われましたね。家族を亡くされた悲しみも、絶望して自傷行為を繰り返してきたことも理解できます。しかし、もし事故に遭わなかったとしたら、あなたは間違いなくがんで命を落としていましたよ。つまり家族のみなさんが犠牲になって、あなたを守ってくださったのですよ」と。
その話を聞きながら、人間の「いのち」の尊さと「家族愛」の大切さを実感しました。
その後の長い長いリハビリ生活を経て、七年ぶりに社会復帰するとき、私の肩をポンと叩きながら、
「人間の知恵や技能は無限なのですよ。あなたは天国の家族に生かされていることを忘れないでくださいね」
と、励まされた医師の言葉が、その後の人生訓になりました。
激しい交通事故と長い療養生活で、家族も仕事も財産も失くし、心とからだに大きな傷を負ったままの人生は、本当に大変でした。
それでも、日一日を生きていること、生かされていること、そして、なにごとにも感謝できる人生も、まんざら捨てたものではありませんでした。
思えば、長い療養生活の中で一番苦痛だったのが「検査」がある日で、再起が危ぶまれるほどの重傷を負い自暴自棄に陥った私は、生きる希望さえ見失っていましたので、医師や看護師さんや検査技師さんを散々手古摺らせたものでした。
「この際だから、全臓器の精密検査をしましよう」という医師からの勧めも、頑なに拒否し続けました。
しかし、医師や看護師さんの献身的な姿を見ているうちに、「ぽろりぽろりと」心の垢が洗い流され、半年後にようやく精密検査を受けることになり、普段なら見つからないような膵臓のがんが発見されたのです。
化学治療のために髪が抜け落ちるという新たな悲しみにも遭遇しましたが、それらを克服していくことで、少しずつ生きる勇気と希望を見出すことが出来るようになりました。
あんなに嫌っていたのに、新しく入院してくる患者さんに対して根気よく、「健診や検査」の大切さを話すようになりました。
多忙な日常生活だったり、病院に行くのが面倒だと思うようになると、ついつい疎かになりますが、何はともあれ「健診」を受けることが、健康な心身への最短距離であることを肝に銘じて欲しいと思うのです。
毎朝読む新聞の「お悔やみ欄」でも、中高年と言われる五十〜六十代の人の訃報が数多く掲載されていて、胸が痛くなります。
さらに、友人や知人の名前を見つけたりすると、驚きや悲しみより怒りさえ覚えます。
もう少し、自分自身の健康に気を遣って、早めに「健診をしてほしかった」・・・という切実な思いで、涙がこぼれます。
自分のためだけでなく、大切な家族のためにも、ゆとりを持って、笑顔で「健診」を受けてもらいたいものです。
つなぐ命の尊さと、家族や医師の愛の確かさを実感し、八十歳を迎えた今でも、「家族の分まで頑張っているよ。ありがとう」と、素直に言える自分を、ちょっと誉めてやろうと思っています。
