今から千年前の平安時代に日本刀が生まれ、武士が誕生します。
武士は戦いの中で、敵を殺傷し、自分や大切な人の身を守るために刀の技術を磨いてきました。
そして江戸時代には刀や木刀の代用品として竹刀が生まれ、面、小手、胴などの防具も開発され、剣術が一気に世の中に広まりました。
剣術の始まりは、敵を殺傷し、自分や大切な人を守ることを目的としていましたが、次第にその技を磨くための稽古を通して人格の陶冶を目指す「武道」の考え方に根ざすようになっていき、「剣術」から「剣道」へと呼び名も変わっていきました。
武道の「武」という字には「戈を止める」、つまり「武器を使わない、争わない」という意味があると言われています。稽古によって鍛えられ本当に心と身体が強くなれば、人を傷つけてしまう恐ろしさを自覚し、鍛え上げられた自分の強さを使わないようになるのです。強いからこそむしろ他者に優しくなれる、と考えるのです。したがって本当に強い人は、優しい人であるはずです。
そして剣道は、互いを尊重し共に協力し高め合う関係を構築してくれます。一般にスポーツでは、相手は打ち負かすべき敵かもしれませんが、剣道では敵ではなく自身を向上させてくれる大切なパートナーと考えます。稽古で心と身体を鍛えることで、本当の強さを身につけ、人と争わない優しい人間になる、それこそが武道の心であり、剣道をおこなう目的と言えるでしょう。
剣道は「礼に始まり礼に終わる」と言われています。大切にすべきパートナーであるからこそ、相手を敬う所作として「礼」を大切にしているのです。
剣道の試合などで「一本」を取ってもガッツポーズなどをすれば、取り消されてしまいます。それは相手への思いやりのない行為(非礼)とされるからです。一本を取った後も相手への思いを持ち続ける「残心」を示すことが、剣道では求められています。
このような背景を基に剣道は発展してきました。
相手を敬い、自分自身と向き合う「稽古」を積み重ねることで、心と技、人間性が磨かれていき、お互いが活かされる剣道(活人剣)へと繋がっていくのだと思います。
このような剣道の特性を理解する外国人も増え、国境を越えて剣を交える機会も多くなってきました。剣道で磨かれる人間性は、世界を平和にする礎にもなりうる可能性を秘めているのかもしれません。
以上です。