剣道では稽古、試合、立会の前後の礼法において蹲踞(そんきょ)を行ないます。
礼法所作の1つである蹲踞ですが、その歴史や意味については剣道の資料に記載はありませんが、おおよそ次のような意味あいが考えられているようです。
身を清めて、これから特別な(神聖な)時間、空間に入る前の儀式としておこなう。
茶道では、蹲踞を「つくばい」と読み、茶室に入る前に手を清めるための手水鉢(ちょうずばち)のことを指します。
手水は神社などにもある手や口をゆすぐためのものですが、蹲踞(つくばい)では手を洗うときにつくばって(しゃがんで)洗うことになり、体勢を低くして手を清めることで、茶室という特別な(神聖な)空間に入っていくための心身の準備をするという意味があるようです。
また相撲では、蹲踞して拍手の後両手を左右に広げ、掌を返して、「身に寸鉄も帯びていない」、武器をいっさい持っていないということを表明するそうです。
これらのことを剣道に当てはめて考えてみると、持っている武器(刀、竹刀)を相手に明らかにし、これから神聖な時間、空間のなかに入ってお互いの技量を正々堂々と試しあうための所作として蹲踞がおこなわれると考えるのが自然かもしれません。
蹲踞が正式に取り入れられたのは、大正元年に制定された大日本帝国剣道形からです。
ちなみに世界大会では蹲踞をおこないますが、韓国内の試合では蹲踞をせずに立ったまま試合がおこなわれます。
日本の伝統文化である剣道の礼法を海外に正しく発信していくことの必要性を強く感じます。
以上です。