「早く知るという勇気 ― 母が隠した理由」
岡 昌子さん(三重県)
「私は健康だから。心配しなくていいの」
母は、そう言って笑っていた。
健診も受けているし、大丈夫。
そう繰り返しながら、がん保険まで解約していた。
母が亡くなったあと、タンスの奥から一通の封筒が見つかった。
そこには、精密検査を勧める健診結果が入っていた。
赤い数値。
再検査の文字。
私はその場に座り込んだ。
なぜ、隠したのだろう。
母は、弱音を吐かない人だった。
「迷惑をかけたくない」が口癖だった。
「病院なんて、行けば病気見つかるんだから」
冗談めかして、そうも言っていた。
あれは冗談ではなかったのかもしれない。
見つかることが、怖かったのだ。
昭和を生きた女性にとって、
自分の病気は“家族への負担”だったのだと思う。
検査費用。
治療費。
家事ができなくなること。
父の世話。
私たちへの心配。
「私さえ我慢すればいい」
きっと、そう思ったのだろう。
保険を解約したのも、
「もう大丈夫だから」と言いながら、
本当は“なかったことにしたかった”のかもしれない。
病名を確定させない限り、
まだ健康でいられる。
そんな心理が、どこかにあったのではないか。
けれど、現実は待ってくれなかった。
見つかったときには大腸がんは進行していて、
半年間の闘病の末、母は旅立った。
私は毎朝、母に野菜の生ジュースを作った。
父が帰る時間になると、母は少しでも明るく見えるようにと、かわいいパジャマに着替えた。
「ウサギみたいだね」と言うと、
「ぴょん」と、いつもの調子で笑った。
あのとき母は、何を思っていたのだろう。
怖かっただろうか。
後悔していただろうか。
私は何度も考える。
もし、あの封筒を私に見せていたら。
もし、もう一度検査を受けていたら。
母の選択は、家族を守るためだった。
でも結果として、私たちに深い後悔を残した。
だから私は決めた。
怖くても、知る。
母を見送ったあと、初めて人間ドックを受けた。
まだ子どもは小さかった。
結果を待つ時間、
「もし異常があったら」と考え、手が震えた。
けれど封筒を開けた瞬間、
胸に広がったのは安堵だった。
異常なし。
その一枚の紙が、
こんなにも未来を守るものだと初めて知った。
健診は、病気を探すものではない。
家族との時間を守るための行動だ。
母は、家族に心配をかけたくなくて隠した。
私は、家族を守るために毎年受ける。
世代は変わる。
守り方も変わっていい。
「大丈夫」と言い切る前に、どうか確かめてほしい。
精密検査の通知を引き出しにしまわないでほしい。
怖いからこそ、受けてほしい。
早期発見は、命の時間を増やす。
そして、残される家族の後悔を減らす。
母の封筒の赤い数値は、今も私の胸に残っている。
だから私は、今日も検査を受ける。
