「母の「大丈夫」を疑った日」
二宗 洋輔さん(愛媛県)
「私はいつ死んでもいいから」
母は、健康診断の話になると決まってそう言った。
それは夕食の時間、父と母、兄と私の四人で食卓を囲んでいるときだった。最初はいつも通りの団らんだ。父がその日の出来事を話し、母が相づちを打ち、兄も静かに耳を傾けている。そんな穏やかな時間の中で、父がふと口にする。
「今年も健診の時期だな。」すると、さっきまでの空気が一気に変わる。母の表情が曇り、食卓に少しだけ緊張が走る。
「私は大丈夫だから」
母はそう言って、話を終わらせてしまう。それが我が家では、いつものやり取りだった。父はそれでも、何度も母に勧めていた。
「一度だけでも受けてみないか。何もなければ、それで安心できるだろう」
けれど母は首を横に振るばかりだった。そんなある夜、深夜のリビングで父が私に声をかけた。テレビではプロ野球のハイライトが流れていた。父は画面を見ながら、まるで独り言のように言った。
「お母さんには、ずっと幸せでいてほしいんだ」
そして少し間を置いて続けた。
「だから健診に行ってほしい。でも俺が言うと、すぐ怒ってしまう。お前から一度、話してくれないか」
父の言葉は何気ない調子だったが、その奥には母を思う気持ちがにじんでいた。私はその日、母に話してみた。
「一度だけでも健診を受けてみない?」
けれど母は、苦笑いを浮かべながら言った。
「私は大丈夫だから」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていた思いがあふれてしまった。
「兄は、一生懸命生きているじゃないか」
私には兄がいる。兄は全盲で生まれ、さらに心臓の大切な血管が一本足りない状態だった。生まれたその日、すぐに手術が行われたと聞いている。家族は祈るような思いで、兄の命がつながることを願っていたそうだ。そして兄は、一命をとりとめた。そのとき母がどれほど喜んだのか、私は何度も聞かされてきた。けれど兄は今、決して悲観的に生きているわけではない。通勤電車の中で友達をつくってしまうほど朗らかで活発な人だ。ハイキングクラブやマラソンクラブにも入っていて、週末になると「今度はどこへ行くんだ」と楽しそうに話してくれる。そんな兄の姿を見ているからこそ、私は母に言った。
「兄が助かったとき、母さんはどれだけ喜んだの?同じように、祖父母も、父さんも、私も、母さんにずっと元気でいてほしいと思っている。それはそんなにおかしいこと?」
母はすぐには答えなかった。テーブルの上を見つめたまま、しばらく黙っていた。やがて、小さく息をついた。
「お兄ちゃんは、生まれたとき本当に大変だったでしょう」
私はうなずいた。
「あのときはね、ただ生きていてくれるだけでいいって思ったの」
母はそう言って、少し遠くを見るような表情をした。
「だからね、つい自分のことは後回しになっちゃうのかもしれないね」
その言葉を聞いたとき、私は初めて母の気持ちの一端に触れた気がした。私は静かに言った。
「だからこそ、健診を受けてほしいんだよ。母さんが元気でいてくれることが、みんなにとって一番大事なんだから」
母はしばらく黙っていた。そして、苦々しい表情を浮かべながら言った。
「……わかったよ。一回だけ行ってみる」
それは、どこか仕方なく決めたような言い方だった。それでも、その一言で母は健診に行くことになった。
健診の日、母は父と同じ日に予約を取り、二人で出かけていった。
いつものように家を出たはずなのに、私はどこか落ち着かなかった。
数日後、結果を聞いて帰ってきた母は、そっと胸
をなでおろしていた。
これまで母は、もし悪い結果だったらと怖くて健診を受けられなかったのだと、そのとき初めてわかった。
それから母は、毎年きちんと健診を受けるようになった。そして今では、私たちにこう言う。
「ちゃんと健診は受けなさいよ」
その言葉を聞くたびに、私は少し笑ってしまう。あれほど「私は大丈夫」と言っていた母が、今では健診を勧める側になっているのだから。
健診は、病気を見つけるためだけのものではないのだと思う。大切な人の未来を守るための行動なのかもしれない。兄の命がつながったとき、家族はただ願った。「生きていてほしいと。」同じように、私たちも母に願っている。どうか元気でいてほしいと。あの日、父が何気なく私に頼んだ一言。そして、母が踏み出した小さな一歩。
それはほんのささやかな出来事だったかもしれない。けれど、その一歩は家族の安心につながった。
「あなたに元気でいてほしい」
そう思う気持ちがあるからこそ、人は声をかけるのだと思う。その思いはきっと、誰かから誰かへとつながっていく。
私はこれからも、大切な人に伝えていきたい。
「念のために、健診を受けてみない?」
その一言が、誰かの未来を守ることにつながると信じている。
