「若いころでも人間ドックへ‐‐仕事を愛するみんなへ‐」
匿名希望さん(東京都)
病気ではなかった。
その言葉を聞いたとき、私は確かに安心した。けれど同時に、胸の奥に、うまく名前をつけられない感情が残った。助かったはずなのに、なぜか少しだけ、泣きそうだった。
論文を書き、作品をつくる日々だった。考えることが好きで、つくることが好きで、仕事が好きだった。好きだから、止まれなかった。もっとやらないと。頑張らないと。仕事をしないと。その言葉を、まるで祈りのように繰り返しながら、毎日を走っていた。
疲れていることには、気づいていた。でも、それを認めてしまったら、何か大切なものを失ってしまう気がした。眠れない夜も、食事を後回しにすることも、すべては好きな仕事のためだと思いたかった。体の違和感には、見ないふりをした。静かな声より、締切の方がずっと大きく聞こえていたから。
人間ドックを受けたのは、ほんの気まぐれだった。結果はほとんどが「異常なし」だった。ただ一つ、尿検査で血尿が出ていると告げられた。追加検査のあと、医師は穏やかな声で言った。「病気ではありません。ただ、過労です。少し、休んでください」
その一言が、思っていた以上に胸に残った。病名がつかなかったことに安堵しながら、同時に、逃げ場を失った気がした。治療が必要なわけでもない。ただ、自分の生き方を見直すように、と言われた気がした。
医師は、「体は、あなたより先に限界を知っています」と言った。血尿は、壊れてしまった証拠ではなく、壊れる前に届いた、最後の手紙なのだと。私はそのとき初めて、自分の体が、ずっと私の味方でいてくれたことに気づいた。文句も言わず、ただ静かに、サインを送り続けてくれていたのだ。
人間ドックを受けてから、世界が劇的に変わったわけではない。それでも、夜遅くまで机に向かっているとき、ふと立ち止まるようになった。このまま続けられるだろうか、と自分に問いかけるようになった。休むことは、諦めることではない。好きな仕事を、これからも好きでい続けるための選択なのだと、少しずつ思えるようになった。
仕事を愛することは、素晴らしい。だからこそ、仕事を愛するのと同じくらい、自分自身のことも愛してほしい。人間ドックは、病気を見つけるためだけのものではなかった。夢中になりすぎていた私に、「あなたはもう、十分に頑張っている」と、そっと教えてくれた。
病気ではなかった。だからこそ、受けてよかった。
病気ではないという安心も人間ドックは与えてくれる。病気なら一刻も早く教えてくれる。そして、この文章が、今もどこかで無理をしている誰かの、ほんの小さな休符になればと願っている。
